あるぼくについて

ある日、ぼくらは夢の中で出会う__通称「あるぼく」(と呼ぶことにしました)。私がこの作品を初めて見たのは高校生のときです。高校演劇の大会があって、その予選でどこかの高校が上演しました。

これが面白くて。その時に戯曲を買ったのか、後から買ったのかは覚えていませんが、兎に角面白かった記憶があります。

その高校は全員女子が男装、というか、男役として演じていました。

カトウ役はボーイッシュな子で、きっと新選組が好きだったのでしょう、「沖田」と名前を変えていました。

その学校が予選を通過したのかは全く覚えていませんし、演出など詳細も覚えていません。ただ、面白かったという記憶があります。

その後、ショーマが上演したのを見たときは、1人女性がやっていて、性別も女性に変更されていました。やっぱり、面白かった記憶があります。

いつかやりたいなぁと思っていました。

元々は、全員女性でやるつもりで、第二回本公演として企画しており、下北沢のOFF OFFシアターで上演予定でした。コロナやら何やらで話が止まってしまい、数年経ちました。

企画当初から、カワハラ役は流山児事務所の伊藤弘子さんにオファーしていました。話が流れてからも、あれ、やろうね、と言う話はしており、昨年末にも連絡は来ていて。ただ、劇団が忙しくてしばらくは客演ができそうになく、そんな時に新年会で、これ、やりたいんだよねって話になって、その流れでその時集まっていた5人でやろうという話になりました。

弘子さんにはもちろん連絡をし、事後報告ですが、(やることを決めて)エライ!と言ってもらえました。

なぜ男役を女性が男としてやるのか。最初の企画段階で、その意味を見いだせない、とオファーした役者さんに断られたりもしました。

私はものごとに深い意味は要らないと思っていて、「やりたいから、やる」という、ただそれだけです。勿論、掘り下げたら色んな理由を見つけることが出来ます。でも、それって必要?とも思ってしまいます。ある意味では必要なことも、勿論分かっては、います。言葉で説明するのが下手なのです。

企画書にはこう書いてありますーーー演劇の可能性として性別を越えてどこまで観客に受け入れて貰えるのか。男性役を男装しない女性が演じて受け入れて貰うことは可能なのか。

こうも書きましたーーーでも、昔から異性への憧れというものはあって、男女の入れ替わりモノがあったり、男性が女性を、女性が男性を演じるものもあります。(宝塚や声の現場では多いですね) どうしても男性のカッコ良さには憧れるものの、普通の芝居でまずやることが無いのは、勿論必然性の問題もあると思います。男性が女性を演じる場合は、キャラクターや見た目のコミカルさがあったりします。 そうでは無い、純粋に女性が男性を演じると言うのをやってみたい。男装をするわけでも無く、女として男を演じると言うことをやってみたい。 LGBTが広く認知される様になった現代では、抵抗も少なく、受け入れられるのでは無いだろうか、そんな試みも面白いのでは無いだろうかと言う期待があります。 そして、一番には「やってみたい!」という思いに尽きます。普通にしていたら、私には男役をやる機会は無いと思います。それなら、自分で作るのみです。


一番には、やってみたい。それがあります。

今回は無料公演と言うこともあり、色々自由にやってみようと言う思いもあります。

『演劇へのハードルを下げる』

見るほうも、やるほうも、です。

無料なら、行ってみようかな。これは演劇界にとって大きな一歩であり、認知度を上げるのに効果的です。そして、男(女)性キャストいないけどこの作品をやりたいな、という時に、あ、性別関係なく舞台に立っていいんだ、と、演劇を作る上でのハードルを下げられたら、もっと気軽に演劇を作れるんじゃないだろうかと思うのです。なので敢えて男装もしないつもりです。女性が、女性の外見のまま、男性として演じます。演じる側も、見る側も、もっと気軽に楽しめたらいいな、そんな思いがあります。

まだまだ6月。先の話ですが、少しずつ温めて、少しずつ公演情報を広めていきたいと思います。

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