近代能楽集『班女』

では、三島由紀夫の近代能楽集の班女とはどんなお話なのか見ていきましょう。
能の班女は、室町時代に世阿弥が書いたと言われていますが、作者ははっきりしていません。
三島の班女は、1955年(昭和30年)雑誌「新潮」の1月号に掲載されました。
画家志望の40歳の女・本田実子は不安であった。彼女の家に住まわせている美女・花子の古風なロマンスのことが新聞記事になってしまったからだ。花子はかつてひとりの男・吉雄を愛し、扇を交換した。いつか会えることを願って駅のベンチで男を待ち続けているうちに狂気に陥ってしまっていた。
狂女・花子が扇を手に、来る日も来る日も駅で吉雄を待っている。その記事がいずれ吉雄の目にとまり、二人が再会してしまうのではないかと実子は恐れた。実子は花子の美しさを愛し、その美を独占し続けるつもりで、花子を描いた絵だけは一切発表しなかった。世間から花子を遠ざけるため、実子は花子を旅行に誘うが、花子は聞く耳をもたない。ずっとここであの人を待っていると言う。
新聞記事を見た吉雄が扇をもって実子の家を訪れた。実子は必死に吉雄を家に入れまいと妨害するが、花子が部屋から現われ吉雄と対面する。しかし、吉雄を見た狂女・花子は、あなたは吉雄さんのお顔ではないと言う。吉雄は失意のうちに去って行く。そして再び、花子の待つ人生、実子の何も待たない人生が続く。
こんなお話です。
元のお話では2人はお互いを認識して幸せな結末に至りましたが、三島の班女では気が触れた花子は吉雄を認識しません。
そして、能では実子なる登場人物も出てきません。
また、扇にも違いがあります。能の方では吉田少将の扇は夕暮れの月を描いた扇、花子のものは夕顔の花を描いた扇です。
三島の方では、吉雄の扇は雪、花子の扇は夕顔の花です。
雪の扇を調べると、団雪の扇、が出てきます。これは前回お話しした、中国前漢の成帝の愛妃、班婕妤 (はんしょうよ) が「怨歌行」で、寵を失ったわが身を、月のように円く雪のように白い扇にたとえたところから、男の愛を失った女、男に顧みられなくなった女のたとえ。秋の扇。ーと出てきます。花子は捨てられた女、と言うのを印象付けているのでしょうか?
三島の班女の中で、花子が「秋の扇ね」と泣く場面があります。これは前述のように捨てられた女のことを秋の扇と言うのです。
知らないと、何の話?なんで急に泣き出したの?となってしまいますね。

花子はよいとして、吉雄、これは吉田少将から来ている名前でしょうね。
では、実子はどこからやって来たのでしょうか。
源氏物語より前に、清少納言は著書・枕草子の中で、
「夕顔は、あさがほに似て言ひつづけたる、をかしかりぬべき花の姿にて、にくく、実のありさまこそいとくちをしけれ」
(夕顔は朝顔に似ていると言い続けている。だから花の姿は面白い。それに反して、実の格好の悪さは本当に残念だ)
と言っています。この辺りから、花と実が出てきたのかなあなどと推測してみたりするのも面白いものです。
何故、三島の班女では2人は結ばれなかったのでしょう。


あまりに強度の愛が、実在の恋人を超えてしまふといふことはありうる。それは花子が狂気だからではない。実子の云ふやうに、彼女の狂気が今や精錬されて、狂気の 宝石にまで結晶して、正気の人たちの知らぬ、人間存在の核心に腰を据ゑてしまつたからである。そこでは、吉雄も一個の髑髏にしか見えないのである。
— 三島由紀夫「班女について」


とあります。これはね、何となく分かるんですよね。
記憶の中で思い出は美化されていくように、究極的にはこう言うことなのだろうなと。
自分の中のその人像というものが出来上がってしまうのですね。

長くなりましたが、このように作品について先に知っておいたり調べたりするのも楽しいものかと思います。
そうそう、何故2人は扇を交換したのでしょうか?現代ではちょっとピンときませんが、昔は、「扇」は「逢う儀」に通じると言われ、見初めた人と結納代わりに自分の扇を取り交わしたそう。扇を形見に交わすのは、男女の深き絆を示すものだとのこと。
なるほどなあ。
サラッと流してしまいがちだけれど、調べてみると色んな事が分かって面白いものです。

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